一滴水紀念館

一滴水紀念館

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更新日:2026-08-06
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オーディオガイド

紹介

一滴水紀念館という名称には、二つの由来があります。一つは、原建築主である水上覚治氏の子・水上勉氏が、生涯にわたって日本の滴水禅師の禅の思想を受け継ぎ、万物の資源を大切にし、たとえわずか一滴の水であっても余すところなく生かす精神を尊んだことを記念するものです。もう一つは、移築の過程で力を尽くしたすべての作業員やボランティアへの感謝です。彼らは実際の行動を通じて無私の奉仕の精神を伝え、一滴の水のように小さな力でも、集まれば国境を越えた困難な移築工事を成し遂げられることを示しました。こうした思いから、「一滴水紀念館」と名付けられました。

情熱と無私の心が支えた国境を越えた移築の歩み:この建物は、日本の福井県大飯町にあった木造建築「Tamsui Itteki Memorial House」を移築したもので、1915年頃に建てられた日本の古民家です。その始まりは、日本の阪神大震災と台湾の921大地震という二つの震災を通じて結ばれた、台湾と日本の人々の絆にあります。多くの台湾と日本の有志の尽力により、2005年(民国94年)に解体が始まり、2009年(民国98年)12月に再建が完了しました。約5年の歳月と幾度もの移送を経て、3,000キロメートルの旅路を越え、遠く日本から台湾へと運ばれてきたのです。移築後は台日交流のプラットフォームであり続けるだけでなく、国境を越えた人々によるコミュニティづくりの精神的な拠り所にもなっています。館内には「水上勉文庫」と「陳舜臣文庫」も設けられ、近代の台日文学交流の促進に役立てられています。

百年古民家の建築語彙をじっくり味わう:この古民家は、日本の文豪・水上勉氏の父である水上覚治氏が自ら建てたものです。600本を超える梁や柱には釘が一本も使われておらず、20種類以上に及ぶ精巧な仕口(ほぞ組み)が用いられ、極めて高度な木造建築の技術と文化を今に伝えています。屋内の大黒柱は入口から数えて三本目に位置する、最も長く、最も多くの梁を受ける直柱で、日本文化において一家の主である父親の役割を象徴しています。柱上部の「棟札」は古民家の身分証ともいえるもので、赤い布に包まれた木札には、建築年と建築の「棟梁」(大工の親方)の名前が記されています。さらに赤い布の外側には、上棟の際に鼻緒を切った一足の草鞋が巻き付けられており、「この地に根を下ろし、二度と移らない」という意味が込められています。細部に込められた思いまで興味深く、想像をかき立てられます。

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