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貂山古道

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更新日:2023-03-29
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紹介

貂山古道の登場は明治三十一年にまでさかのぼります。渓流から砂金が見つかり、続いて金鉱露頭が発見されたことから、大勢の採掘者たちが押し寄せました。貂山古道はかつて水金九の鉱業が隆盛だった時期には人の往来が絶えませんでした。そうした背景のもと、貂山古道では嘘か真か、切ない「無縁仏」の伝説が生まれたのです。「無縁仏」は貂山古道の出口に近い場所にあり、石柱には明治三十五年(1902年)の建碑と刻まれています。

無縁仏の成り立ちにはいくつかの物語があり、いずれも日本統治時代のものです。一つ目は台湾に派遣された日本の採掘技師の話。帰国したら結婚するという婚約者との約束を破ったため、女性が台湾を訪ねたところ技師は病没していたので、無縁の碑を建てたというものです。二つ目はよく知られる台湾の女性を愛した日本の採掘技師の話。故郷の父母に同意を得て台湾に戻ると、女性が病没していたため、無縁仏を建てて弔ったというものです。三つ目は二人の日本人が連れ立って双渓に金鉱を求めに来たところ、一人が谷に落ちて死んでしまったという話。死者の妻は夫を訪ねて台湾に来ましたが、夫の死を知り、遺骨を手に日本に帰る途中で病に倒れ、心労も重なってそのまま死んでしまいました。後に現地の住民は日本女性の貞操に胸を打たれ、病に倒れた場所に「無縁仏」の石碑を建てて記念としたというものです。四つ目は金を目当てにやって来た日本人の話。金も採らないうちに身代をつぶし、碑を建てて去ったというものです。





呉念真監督の映画『無言の山丘』は無縁仏の物語をテーマに撮影されました。





貂山古道は無縁仏の碑のほか、自然の景観という点でも風に舞うススキなどが楽しめ、貂山古道を躍動感と魅力に満ちたものにしています。貂山古道の出口付近にはもう一つ有名な「金字碑古道」があり、観光歩道となっています。また牡丹と侯硐地区に近く、旅行の計画や時間の都合に応じてこれらの古道を散策することができます。





参考資料:取材訪問



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