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磅坑口

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更新日:2022-11-16
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紹介

磅坑口とは「トンネル口」の別称ですが、ここで言うトンネルとは主に車両通行用のトンネルで、坑道の出入口ではありません。水金九地区には車両通行用の磅坑口がいくつもあり、いずれもトロッコ鉄道と関連があるものです。


九份にかつて「ゴールドラッシュ」が起こった際、従来の豎崎路と保甲路を主とする人力輸送では間に合わなくなりました。そこで顔国年は「瑞芳軽鉄株式会社」を設立し、「瑞芳軽鉄金瓜石線」を敷設しました。全長約6キロで、昭和6年(1931年)11月に完成し、開通しました。


この鉄道は瑞芳、九份、金瓜石を結ぶ連絡路線でした。この鉄道は完成後まもなく、「基隆軽鉄」(基隆軽便鉄道株式会社)に吸収合併され、九份と外部をつなぐ主な交通手段となりました。貨物輸送や商品流通の速度が大幅に向上し、瑞芳は一躍九份への物資供給の重要拠点となりました。この路線は籠渡しの発着点を結ぶもので、坂が急なため、人力では運べず、車も滑り落ちてしまうので、籠を牽引するようになりました。


このトロッコ鉄道は三つの磅坑口を抜けます。琉榔脚観光歩道(流籠脚観光歩道)上の磅坑口、九份山磅坑口、鶏籠山ふもとの磅坑口です。ただし三つ目のトンネルは砂利や安山岩からなる断層帯があるため、落盤事故が起きやすく、閉鎖されています。


現在のいわゆる「磅坑口」とは、たいてい九份山磅坑口のことを指します。その幅は当時のトロッコ列車が十分すれ違えるほどでしたが、今ではワゴン車一台分だけの片側通行となっています。その岩質は硬く、トンネル内には山の水が石の隙間からしたたり落ちています。大雨の後ではそれがより鮮明になります。磅坑口はただのトンネルに過ぎませんが、九份集落の終点を示す無形のシンボルとなっています。


参考情報:取材訪問、『九份・台陽江両旺の口述歴史専門書』

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