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新北のおすすめ観光工場8選 楽しい思い出作り

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新北のおすすめ観光工場8選 楽しい思い出作り
新北では、清時代に鶯歌の製陶業と瑞芳の採鉱業などの工業が発達し、1960年代の輸出指向政策の時期には食品、紡績、電子などの軽工業が台頭しました。工場が台1線と台3線沿いの三重、五股、新荘、板橋、土城などの地区に集まり、台湾経済の奇跡を生み出しました。産業のアップグレードに伴い、日用品工業は人材コスト、環境保護意識などの要因により次第に新北から外部に移転移動したため、一部の工場は政府の指導の下で観光工場に転換しました。アクティブで面白いアプローチにより伝統産業工場のベールを脱いだ観光工場は現在、親子レジャーに大人気です。広く見聞を広めるほかにDIYでオリジナル記念品も作れます。本篇では、観光客のいろいろなお好みにこたえる各種分野の観光工場を8か所ご紹介します。
許新旺陶瓷紀念博物館

【三重】​​ヘッドブリュワーズ醸造観光酒造
ヘッドブリュワーズ醸造は2015年春に三重で創業した台北・新北初のクラフトビール観光工場で、敷地面積は約1000坪、MRT先嗇宮站、環状線幸福站に隣接しています。ヘッドブリュワーズはできる限り地元の原料でビールを醸造し、「24節気ビール」シリーズで国内外に名を馳せています。台湾オリジナルの冬瓜茶糖、彰化のジャスミン、屏東のカカオ、東方美人茶などを取り入れ、台湾独自の風情を表現しています。ヘッドブリュワーズ醸造では経験豊富な醸造家が専門のガイドチームとなり、観光客を率いてビール醸造の各段階を細かく解説します。さらに醸造家の指導の下で完璧な生ビールを製造し、自分で缶に入れて家に持ち帰ることができます!
啤酒頭觀光工廠
啤酒頭觀光工廠

【三重】印地安皮革創意文化館
台湾はかつて豚皮の製革業の重鎮でしたが、環境保護意識の台頭と産業チェーンの外部移転により次第に規模が縮小しました。印地安皮革創意文化館はこの産業転換の際に設立され、グリーンで安全、環境に優しい自然のタンニンなめし革を使用した手工芸の普及に力を入れています。皮革、材料キット、金物部品、染料、仕上剤などを供給しています。プロのガイドがお客様を案内し、皮革の歴史と製作過程を解説します。また手作り体験では、人類最古の製革法で自分だけのオシャレな革アクセサリーを作りましょう!
印地安皮革創意文化館
印地安皮革創意文化館


【五股】豊得好食観光工場
新北産業パークに位置する豊得好食は、台湾初の合法民営屠殺場からスタートし、現在は豚肉、鶏肉、水産物、野菜を取扱う食品会社に発展しました。「食農教育」をテーマとする観光工場を設立し、国産農産物、飲食健康、物を大切にする理念の普及に力を入れています。工場内にはスケルトンの野菜と果物の通路や製造過程の見学エリアを設け、観光客に食材の加工、包装と配送過程を解説します。AR、VRのインタラクティブガイドを通して、様々な食材についてダイナミックに説明しています。また、カラフルお餅、フリフリおにぎりや亀の形のお餅といった料理を楽しむことも出来ます。

豐得好食觀光工廠
豐得好食觀光工廠

【八里】卡滋ポップコーン観光工場ランド
卡滋ポップコーンは様々なフレーバーのポップコーンを取扱う台湾のトップブランドの1つです。2020年にアジア初のポップコーン観光工場を八里左岸にオープン。元気いっぱいのカラフルな工場に足を踏み入れると、思わずスマホで撮影してしまうアメリカンタウンスタイルの景色が広がります。専門ガイドがポップコーンの歴史発展と関連する生活知識を解説し、先進的なAI全自動生産ライン技術や面白いインタラクティブゲームとDIY手作りを体験することもできます。ポップコーン愛好者にとって見逃せない聖地です。
卡滋爆米花
卡滋爆米花觀光工廠
卡滋爆米花觀光工廠

【林口】王子創意文具国
王子文房具は長年にわたり消しゴム産業に力を入れ、台湾初の黄色軸のボールペンを生み出しました。また台湾の高級文房具を作り上げ、国際市場に進出しました。王子文具は林口観光の新たな目玉として敷地の一部を観光工場にしました。マスコットのデュークと一緒に消しゴムのトンネルや有名人の文房具の宝箱に入り、文房具産業の歴史文化を知り、消しゴムの制作過程を見てみましょう。安心安全なエコ素材を使った、かわいくてクリエイティブな色とりどりの文房具に大人も子供も大喜び。
王子創意文具館
王子創意文具館

【鶯歌】許新旺陶瓷紀念博物館
鶯歌は台湾の陶磁器の都と称され、最盛期には千軒以上の陶磁器工場が鶯歌に集まっていました。1926年に創立された許新旺陶瓷は鶯歌陶磁の始まりと終わりの証言者として2010年に許新旺陶瓷紀念博物館を設立し、鶯歌で初めて経済部から認可された観光工場となりました。館内には骨董級のガス窯、蹴りろくろなどの製陶設備を含む豊富な歴史文物が保存されています。また、手作り陶器、手びねり陶芸、釉薬での上絵付け、モザイク絵付けなど4つのエリアで陶芸を体験することが出来ます。
許新旺陶瓷紀念博物館
許新旺陶瓷紀念博物館


【土城】王鼎時間科芸体験館
海外に行くと、なぜ各地の時間が違うのか気になったことがありませんか?1984年に創立された王鼎は巨額の資金を投入した工研院との提携や遠くスイスに赴いての研究により、ATOP世界時間帯時計を設計・開発しました。2012年に時間をテーマとした科学芸術体験館を設立し、五感を通した時間体験、全世界のタイムゾーンがどのように設定されているか、クォーツ時計の製造組立過程などを紹介しています。DIYエリアではクォーツ時計のムーブメントを深く探求し、自分だけのオリジナル商品をデザイン出来ます。また、時計職人の技を楽しく学ぶことも出来ます。

王鼎時間科藝體驗館
王鼎時間科藝體驗館


【板橋】玉美人マタニティウェア観光工場
玉美人は既製服の加工工場から始まり、その後マタニティウェアとマタニティグッズに特化し、半世紀を超える歴史を有する老舗のアパレル工場となりました。伝統的な産業様式の転換と台湾社会の少子化という要因を考慮しつつもなおマタニティウェアの生産ラインを堅持しています。デザイン発想から完成品の製造まで自社工場で行っており、MIT認証取得の先駆けとなったマタニティウェア会社でもあります。マタニティウェアの観光工場では、既製服をの製造過程の解説、ベビーウェアやTシャツのDIYのほか、台湾初の一家で妊娠10月の重さを体験できるママ体験もあります。

玉美人孕婦觀光工廠
玉美人孕婦觀光工廠

 
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淡蘭古道:手作り歩道、ビデオ、書籍
淡蘭古道は清の時代に台北盆地と蘭陽平原を結ぶ重要な山道であり、台湾鉄道宜蘭線が開通前は両地域を結ぶ交通の要でした。淡蘭古道は淡水庁と噶瑪蘭庁の間を結ぶ単なる「線」ではなく、200年以上の間、原住民の狩猟、漢民族の開拓者の痕跡、貿易や商業の拠点、軍隊の哨戒など貴重な歴史の記憶を伝え、多くの先人たちがこの数10本の密集した山道を通過しました。淡蘭古道は台湾北部の歴史の発展を見守ってきた台湾の巡礼路であり、現在「国立グリーン歩道」に指定されています。2015、16年-「淡蘭百年の山道を再現」鉄道や高速道路の出現後、世界全体で交通の大きな変革が為され、淡蘭古道の本来の交通機能が取って代わられ、徐々に人々の目から消えていきましたが、100年の間、新北と宜蘭の間の山間部に静かに存在していました。2015、2016年より 台湾千里歩道協会は台湾北部の自治体と共同で「重現淡蘭百年山道プロジェクト」を計画しました。文献、図版、聴き取り調査などの情報でコースの初歩段階の背景を固めて、歴史、文化、景色、休憩場所、安全性などを考慮しました。現在の体系化された淡蘭山道路線はヤブレガサウラボシがトレードマークとなり淡蘭古道のブランドが誕生しました。公私の資源を結合し、官民が共に手作り歩道の工法で古道を修復しました。重機や工事に頼らず、簡単な工具で地元の材料を使うことが手作り歩道のコンセプトです。ボランティアの参加など人々の力を結集して修復した遊歩道は現地の風景と融合して文化が持つ本来の精神を受け継ぎ、数年の努力を重ねて100年の長い歴史を持つ淡蘭古道を復元しました。2018年-《淡蘭古道三部曲》淡蘭古道の生態と文化を広めるため、新北市観光旅行局と世界的に評価の高い蕭青陽監督がタッグを組んで、淡蘭古道を北路、中路、南路に分けて『淡蘭古道三部曲』を演奏しました。蕭監督は100年の山道の歴史を「功夫の道」、「先民の道」、「養生の道」と分けて伝統的な京劇楽師が演奏を担当し 虫や鳥の鳴き声、川の水など大自然の音を録音して古道の多面的な生命力を表現しています。『淡蘭古道三部曲』は2021年に第14回「ポルトガル国際観光映画祭」(ART & TUR - International Tourism Film Festival)スポーツ&レジャー部門にて1位で受賞。2023年、『淡蘭古道三部曲』のオリジナルアルバムBeginningless Beginningが第65回グラミー賞(Grammy Awards)最優秀アルバム・パッケージ部門で受賞。淡蘭古道が世界の舞台に躍り出ました。2019 年-『淡蘭古道-北路』淡蘭古道初の旅行記『淡蘭古道-北路』は淡蘭古道のスペシャリストである台湾千里歩道協会、歴史関係者、登山専門家が1年半の歳月をかけて規格、編集を経て出版されました。北路の道中の歴史文化、町の物語、動植物の生態、おすすめルート、質感のあるレイアウトが発売から好評を博し、現在は既に第5版まで増刷されています。多くの旅行愛好家がこの本を携えて、淡蘭古道北路を一歩一歩歩きながら、自分だけの古道の物語を紡いでいます。 2020年-淡蘭古道特設ページ開設スマートテクノロジーの力を借りてUI/UX古道インタラクティブマップを作成して複雑な山道を整理しました。ユーザーの角度から設計し、旅行前準備、旅行計画、GPX、交通、天気、休憩などの情報を統合しています。登山情報を簡単に入手して、あらゆる角度から淡蘭古道の豊富な歴史文化と自然の生態を探索できます。2022年-《淡蘭古道-百年里山的長路慢行》『淡蘭古道-北路』が大好評を博した後、新北市観光旅行局は再び多くの淡蘭のスペシャリストたちと手を組んで『淡蘭古道-百年里山的長路慢行(百年里山の長き旅路)』を発売しました。淡蘭古道の北路、中路、南路の各道の旅行記です。淡蘭古道内にある地元の22軒の職人、お店の物語を紹介するほか、実用的なウォーキングガイドと美しい写真が収録しています。金鼎賞受賞のアーティストが自ら淡蘭全線を走破後、美しい飛び出す地図を作成し、次の100年も共に歩む願いを込めて、淡蘭古道のコース確定からブランド化までの背景の物語を収録しています。新北市政府観光旅行局は現在も淡蘭古道を推進し、淡蘭古道は国内外で知名度の高い長距離の遊歩道になりました。インターネット、動画、書籍による宣伝のほか、多くの民間団体と協力して手作り歩道ワークショップ、登山講座、国家グリーンロード推進員育成検収などを開催しています。この100年の歴史を持つ山道は再び人々が交流、訪問する場所となり、これからも繁栄を続けていきます。
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「入れっ!」、「行けっ!」、 野柳神明浄港文化祭
1820年のある日、野柳の漁師たちは一隻の閩式帆船が海を漂っていたので、船に乗り込んで中に乗員がいないことを確認されましたが、船室内に開漳聖王の神像と建材に使われている福州杉と青斗石を発見、住民たちは議論の末、最終的にこの神様を漁村で受け入れることにして、船の建材で神様を祀る廟を完成。海に出る野柳の漁師の安全を願って「保安宮」と名付けました。数十年後、福建省から来た船が野柳の海に座礁、沈没しました。この悲劇の後、保安宮に祀られた開漳聖王が降臨し、漁師に対して犠牲者の遺体が港に入らないよう物を捧げて祈り、清めるように命じました。さらに開漳聖王は再び降臨して元宵節の際は自ら見回ることを伝えました。野柳の住民は神様の命令をに従って、若くて力のある信徒が正月15日に神輿を担いで冷たい海に飛び込み、港内の悪霊を退治しました。これが野柳神明浄港の起源と言われています。「水裡来、火裡去」(水から来て、火を渡る)野柳神明浄港は百年以上の歴史を有する、元宵節に北海岸で行われる独自の祭典です。平渓天燈節、塩水蜂炮と共に台湾の民族文化の無形財産です。野柳神明浄港では「浄海巡洋」、「漁獲満艙」、「神明浄港」、「神明過火」の4つの儀式が行われ、参加した信徒は必ず神輿を担いで水中に飛び込み、岸に上がった後はたき火を渡ることが必要です。これが「水裡来、火裡去」(水から来て、火を超える)の意味であり、萬里区で最も独得な文化的祭典です。神明浄港は野柳地区で開催される毎年恒例の行事であり、野柳の住民と漁師全体が共同で資金や人材を出し合って共に盛り上げ、地元の人の力を結集する重要な祭典です。 神明浄港は早朝から賑わいを見せ、信徒たち、主祭が次々と保安宮へ入って祝福の儀式を行います。寺院前は野柳小学校の獅子舞団、北管楽社、神将の素晴らしいパフォーマンスに目を離す暇がなく、シャッターの音があちこちから聞こえて鳴り止みません。 寺院側が8台の神輿を保安宮前まで担ぎ、神像を手入れした後、爆竹を神輿にかけて、勇士が爆竹に火をつけた神輿を担いで前へ進むと爆竹の音が響き渡り、雨降る空を超えて天まで届きます。浄海巡洋皆の祝福を受けた曳船が出港し、浄海巡洋が始まります。漁港内には10艘以上の漁船は爆竹の音が響き渡る中、曳舟を追いかけて野柳漁港を出港します。一時間弱におよぶ浄海巡洋の儀式では全ての漁船が野柳漁港を三週して豊漁と出航後の安全を祈願します。漁獲満艘浄海巡洋後、漁船は保安宮前に戻り、船艘を開いて沢山積まれた魚をトラックに積み上げますが、これは今年出航の漁が豊漁であることを表しています。続いて市長主催のチャリティー水産物オークションが始まり、競りの場面の熱気は圧巻です。神明浄港 「入れっ!」、「行けっ!」と皆が大声で叫ぶ中、注目の的は保安宮前で開始される神明浄港です。野柳の勇士たちは開漳聖王、媽祖、周倉将軍、土地公など8台の神輿を担ぎ、見学者の熱の込もった歓声の中、冷たい風が吹く中漁港へ飛び込むことで、百年前の開漳聖王が降臨して港を見回る情景を再現しました。これによって野柳漁港にはびこる悪霊を退治し、豊漁と人々の安全を祈願します。神明浄港もまた、時代の変遷と共に一般の人々へ開放されるようになり、一緒に海へ飛び込み、飛び込みの大会も開催するようになりました。神輿が港に入ると100名が海に飛び込んで祭りを盛り上げます。2024年は辰年であることから、多くの人が辰年にちなんだ龍が描かれた衣装をまとい、辰年の到来を祝うと共に一年が平和であることを願いました。神明過火 神輿を担ぐ勇士たちは港に入った後、神輿を担いだまま野柳港を泳ぎ、岸に上がった後は神の示す通り火を飛び越えることが必要です。「行けっ!」、「進めっ!」と大きな声が再び野柳に聞こえ、勇士たちは神輿を担いだまま、米と塩を撒いたたき火を裸足で歩くことで体の邪気を取り払い、3周すると「水裡来、火裡去」の儀式が完成します。北管楽社の先導によって、あまたの神々が漁村を包み込んで、野柳を庇護します。神明浄港文化祭は百年前に海に漂流した神秘的な無人船を起源とし、船の中の開漳聖王は野柳の漁師によって岸へ迎えらえた後、船が座礁した際に降臨して港を見回り、野柳漁港の平和を守ってきました。野柳の住民はこの心意を現代まで受け継がれています。神明浄港は元宵節の行事だけではなく、野柳住民の間に世代を超えた記憶として共有されています。
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