元宵の最も美しい夜空 新北市平渓天燈節

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元宵の最も美しい夜空 新北市平渓天燈節
元宵節の夜にゆらりと空を登る天燈(スカイランタン)。みんなの願いを引き受けて夜空を翔ける姿はまるでとても美しい絵画であり、 新北を代表する祭典の風景です。1999年より毎年旧暦の1月15日の元宵節に新北市政府が平渓で開催する天燈節(スカイランタンフェスティバル)は平渓山の年間最大規模の祭典であり、20年以上にわたって国内外から多くの旅行客が訪れて天燈を灯し、夢と願いを夜空に託してきました。
2024平溪天燈節


天燈の様々な起源
「援軍を要請する!」三国時代、蜀漢の宰相、諸葛亮孔明は敵軍に包囲されると、熱気流上昇の原理を利用して、大型の天燈を空に飛ばし、軍事的な情報を伝えることで最終的に難を逃れました。この天燈は広く知れ渡ったことがきっかけで、孔明燈と呼ばれるようになりました。また、この天燈の形状が孔明の綸巾(青いひもで作った頭巾)に似ていることからそう呼ばれたとも言われています。天燈はインターネットなどの発明のように軍事利用がその起源とされ、熱気球の元祖であり、人類が空を飛ぶ夢の始まりなのです。天燈はモンゴルに西征の際にヨーロッパの戦場で登場し、500年以上後に、史上初の人を載せた熱気球がパリの上空を飛びました。
平溪天燈節

元宵節の祈り  
天燈が民間に広まった後、祈りの意味を含んだ民族行事として発展しました。古くは元宵節に天燈を空に飛ばす習慣があり、天官大帝の生誕を祝う元宵節では、天燈は人々にとって天官大帝の幸せを祈るための媒介でした。 新北市平渓区を流れる基隆河上流では、19世紀初頭に福建省からの移民が盗賊から度々被害に遭っていたため、天燈は当初、人々が無事を知らせるための道具でした。1990年代に平渓で天燈文化の復興運動が始まり、山の町から放たれる天燈は多くの観光客を惹きつけてきました。現在は平渓で最も有名なイベントであり、人気映画の「宣伝」の助けもあって、天燈の天燈はより世界的な知名度を手にしています。
2024平溪天燈節
2024平溪天燈節

平渓の独得な気候と地形
今日では天燈といえば必ず平渓を連想しますが、なぜ平渓だけが天燈とここまで密接に関係しているのでしょうか?現行法では平渓は、屋外で天燈を飛ばせる唯一の地区なのです。なぜなら平渓は台湾で最も雨の日が多い地区の一つであり、相対湿度は常に75%以上、湿った環境ゆえに天燈が落下しても最悪火事になることはないからです。また、平渓は四方が山に囲まれ、周辺に飛行場がないことから、天燈は確実に平渓山間部のみを飛行し、飛行機の航路を妨げないことが、平渓が天燈飛ばしに最適な場所の所以です。
平溪線鐵道

平渓区は新北市で最も人口の少ない区であり、元々はケダガラン族が活動していた場所でしたが、漢人が入ってきて開墾するようになり、20世紀初頭は炭鉱の採掘が繁忙期を迎え、鉱業が廃業されると平静を取り戻しました。1921年開通の平渓線鉄道も一度は廃止の憂き目に遭いますが、地元の人々の努力により観光鉄道へ転換することができました。百年の歴史を持つ平渓線の線路沿いには十分、平渓、菁桐など魅力あふれる鉄道の町や壮観な十分の滝、あまり知られていない秘境の駅などがあります。毎年開催の天燈節では平渓プチツアーを開催。ガイドの引率で平渓の鉱業文化と鉄道の風景、山の町の美しさをじっくりと探索します。
平溪小旅行
平溪線鐵道

新北市平渓天燈節
新北市政府が1999年にスタートした平渓天燈節(天燈節)は今年で26回目を迎える北台湾で最も有名な元宵節の祭典であり、台南の塩水蜂砲(爆竹祭り)と合わせて「北天燈、南蜂炮」と呼ばれ、旅行サイトでは一生に一度は行っておきたい祭りに何度も選ばれています。平渓天燈節は元宵節当日と一週間前の週末の2回開催され、どちらも天燈を放ち、100個以上の天燈が一斉に空を昇る様子は幻想的な光景であり、平渓の町の夜空を照らします。
👉2024平渓天燈節公式サイト
2022平溪天燈節
2024平溪天燈節

每年開催の天燈節はその年の干支が天燈のテーマであり、高さが20フィートに達するメイン天燈は優れた天燈製造工芸を体現。筆を持ち上げて画仙紙でできた天燈に字を描き、金箔は燃料へのエネルギーとなり、天燈を空へ託します。
2024平溪天燈節
2023平溪天燈節

天燈節は平渓地区で最も重要なイベントであり、平渓地元の人々、公務員、学校、商店などが皆このイベントに参加し、パフォーマンスの披露やマーケットを開催して共に盛り上げています。天燈節の多くの観光客に対応すべく、新北市政府は警察官と消防士を配置してイベントの安全を守っていますので、観光客は安心して天燈を空に放つことができます。
2022平溪天燈節
安全至上

山清掃活動で環境保護
祝福の気持ちや心情が込められた天燈は目の前から見えなくなった後、最後は遠くで落下します。平渓の山林の環境保護のため、新北市政府は毎年天燈節終了後に 浄山文化走読(清掃と文化学習がセットになったイベント)を開催し、天燈を回収しながら、講師による平渓にまつわる物語をじっくり聞くことができます。
2024平溪天燈節
2024平溪天燈節
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三峡北大特区
三峡は三本の川が合流する位置にあり、古くから水路輸送の重要な中心地であり、清朝中期以降は繁栄した街並みが形成されました。バロック様式の老街と「東洋芸術の殿堂」として名高い清水祖師廟など、三峡の文化的な奥深さが感じられます。1990年代に中興法商学院が独立して学校を設立し、三峡を所在地に選んだことで「台北大学特定区」が形成されました。北大特区は碁盤目状の街路と緑の軸帯からなり、芸術的で幅広の歩道が整備されています。台北大学の美しいキャンパス環境と相まり、他の市街と異なる住みやすい雰囲気は三峡観光の新たな見どころとなっています。三鶯線地下鉄の開通が間近に迫るなか、北大特区への観光がより便利になります!国立台北大学台北大学の前身は中興大学法商学院で、2000年に三峡にて新キャンパスが正式に開設されました。60ヘクタールの広大で美しい校内には、既存の緑地が有意に多数保存されています。「湖を見て心を見つめる」。聖厳法師が命名した「心湖」はキャンパス中心部に位置し、2ヘクタールの湖に劉厝埔圳の水が集まり、水鳥や水生植物が多く生息します。心湖のほとりを散策して都市の喧騒を洗い流し、心静かに白鳥の舞を鑑賞できます。(キャンパス地図写真提供:国立台北大学) 各学部の建物と図書館に囲まれた中央芝生は、台北大学の歓迎大通りです。緑豊かで開放的な雰囲気は家族での散歩やピクニックに最適です。三峡のランドマークである鳶山に隣接するキャンパス南西角には、学校精神の象徴として「飛鳶広場」が設けられています。飛鳶の上空を横断する三鶯線鉄橋は、煉瓦積み風のアーチ型デザインで、「思古回廊」と命名され、三峡の過去と未来が美しい景観を織りなします。建築好きなら、台北大学中軸線上の図書情報館は一見の価値があります。フクロウのような知的な外観で、複数の渡り廊下が南北2棟を結んでいます。現代的で透明感のあるデザインの東側は中央芝生に面し、西側からは心湖と鳶山を望むことができます。北大キャンパス内の店舗阿黙ケーキ北大実習商店は、台北大学で随一の壁画スペースがあり、また学生が主導して経営する、ビジネス精神を実践する場でもあります。「北大峡午茶」は北大商店が三峡のお茶農家を訪れて厳選した手摘みの碧螺春緑茶と蜜香紅茶に阿黙ケーキがセットになったもの。包装には地元の文化遺産である清水祖師廟がデザインされ、若者の創造性と地域との結びつきが込められた、北大らしい土産品です。心湖会館2階に位置するPapershoot Café では、ドリンク・軽食を提供。店内でカメラを借りて4種類のレトロフィルターでの撮影の楽しみも。友人たちとカフェで食事を楽しみ、PaperShootで互いの笑顔を撮影。心地よく満ち足りた時間を過ごせます。 北大特区のギネス世界記録台北大学正門前の学勤路には、輝くギネス世界記録碑が立っています。2010年の創造性の大爆発を記念したものです!北大特区と鶯歌陶磁博物館が共同で開催した「最多人数で同時モザイク創作」の世界記録を樹立したもので、人々の語り草となっています。北大特区は三峡と樹林にまたがる住みやすい生活圏で、緑あふれる学勤路の沿道には児童が創作したモザイク絵が見られます。1.2キロメートルの芸術大通りにある海洋公園や樹林万坪公園でパブリックアートを鑑賞しながら、特区内の生活美学を感じることができます!北大特区の特色店舗北大特区の住民は若い世代も多く、飲食文化の変化をもたらしました。国際一街に位置する享聚餐酒館ではリゾット、パスタ、ピザ、ステーキなどの凝った料理やカクテルを提供。心地良い空間での生演奏やスポーツ中継があり、台北大学の学生や特区住民に人気の場所です。上水樸石火鍋は北大特区の有名な火鍋店で、大型窓と庭園造園が透明感ある広々とした食事環境を演出。日本・台湾風を選べる熱々スープに高品質の肉をくぐらせると口の中でとろけそうなおいしさです。北大特区年間イベント2018年より台北大学が心湖周辺に数百株の吉野桜を植栽し、毎年3月の開花シーズンには多くの人々が花見に訪れる、三峡区有数の桜鑑賞スポットとなっています。台北大学は2024年より桜まつりを開催しています。校内での熱気球アトラクションも企画され、三峡観光の話題を盛り上げました。(写真提供:国立台北大学)(写真提供:国立台北大学) 三峡の茶葉は碧螺春が最も有名です。台北大学と新北市農業局では毎年協力して三峡緑茶まつり活動を開催。三峡の高品質な碧螺春と食農教育体験ができる校内ピクニックでは、地元の質の良いお茶も味わえます。(写真提供:国立台北大学)(写真提供:国立台北大学)毎年12月、北大特区のクリスマス点灯式が行われます。ライト点灯と同時に学勤路全体と北大校内がロマンチックな雰囲気に包まれる、この時期の幻想的な景色です。のんびり散策しながら、北大特区の濃厚なクリスマスの雰囲気が味わえます。(写真提供:国立台北大学)
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Woman Powerが花開く―淡水女路
淡水は台湾で最も早く開けた国際貿易港の一つ。文化遺産が豊富で、美しい風景に恵まれた北台湾で人気の観光地です。1860年代に開港した淡水は、台湾における国際交流の中心地で、台湾社会における変革のトップランナーでした。台湾初の女性のための教育施設「淡水女学堂」は今日の淡水真理街で創立されました。新北市政府、「淡水旅学堂」、「新北市社区旅学関懐協会」が推進する「淡水女路」プロジェクトでは、地元の女性パワーに関する物語を発掘しています。漢服をまとってWomanPowerにまつわる淡水の歷史スポットをめぐり、往時のHer Storyを探りましょう。姑娘楼と牧師楼1906年に建てられた「姑娘楼」と1909年に建てられた「牧師楼」は共に呉威廉牧師が施主です。「姑娘楼」は「淡水女学堂」校長の金仁理姑娘(「姑娘」はMissに相当)と「婦女学堂」校長の高哈拿姑娘の住居でした。現在は真理大学の学長室となっています。「牧師楼」は呉威廉牧師の住居でしたが、その「琴楼」は映画『言えない秘密』の撮影に使われ、一躍有名になりました。現在は「真理大学研究開発センター」となっています。二棟の建物の外観は、遠くない場所にある「英国領事官邸に似ており、共に回廊を巡らした赤レンガの洋館ですが、違いは、二棟の外壁装飾が、官邸に比べ実に素朴なところです。偕牧師夫人張聡明と馬偕牧師(マッケイ牧師)新北市の五股で育った台湾女性、張聡明は元の名を葱仔と言いました。1878年、マッケイ牧師と淡水英国領事館で結婚。結婚後は勉学に打ち込み、英語に精通。「女子学堂」の教師となった、当時時代の最先端を走っていた新しい女性だったのです。張聡明とマッケイ牧師は、伝統に束縛されていたたくさんの台湾女性を救い、台湾の女性教育史に大きく貢献しました。「淡水女路」プロジェクトではマッケイ牧師の旧居内で、「生きた新聞(Living Newspaper)」として張聡明の心の軌跡を描き出しています。張聡明は1879年末、マッケイ牧師のカナダへの帰国の旅に同行します。途中アモイ、香港、シンガポール、インド、中東を経由し、エジプトではピラミッドを見学。エルサレムでは嘆きの壁を訪れています。アレクサンドリアを経てイタリアへ至り、ポンペイ遺跡、ローマ、バチカンを訪れ、フランス、イギリスを経てカナダに到着しました。カナダにおいては、マッケイ牧師に従い活動報告と募金の目的を成し遂げ、アメリカ、日本を経て台湾に帰国しました。この旅で、張聡明は世界旅行を果たした初めての台湾女性となったのです。淡水女学堂マッケイ牧師はカナダから帰国後、1884年に「淡水女学堂」を創立しました。台湾で初めての女子のための教育機関で、台湾における女性教育の幕開けとなりました。「女学堂」は多くの優れた女性を輩出しました。台湾初の女性医師、蔡阿信(テレビドラマ「浪淘沙」のヒロイン-丘雅信のモデル)、文学者の汪李如月も「淡水女学堂」を卒業しています。この他に、既婚、成人女性の教育のために、「婦学堂」も設立。台湾初の「母親教室」と呼ばれています。阿給(アーゲイ)「阿給」は淡水名物のB級グルメです。「永和」と「豆漿(豆乳)」がまとめて「永和豆漿」と呼ばれるように、「阿給」も淡水とイコールで結ばれるほど現地に根付いています。この超有名グルメの発明者は楊鄭錦文さん。ご主人の楊樹根さんといっしょに軽食の店を開いていた錦文さんは、1965年新しいメニューを考案しました。厚揚げを切り開き肉そぼろと春雨を詰め、新鮮な魚のすり身で塞いでから蒸します。こうして今日、淡水グルメの代名詞「阿給」が出来上がったのです。「阿給」という名前は日本語の「油揚げ」から来ています。当初テイクアウトの客には、新聞紙で包んで渡していましたが、それが外から訪れる客に驚かれていました。これは、ジメジメして気温が低い冬の淡水の気候から「阿給」を守るためなのです!自らの手と針と糸で書を綴じる重建街の古民家「九崁28」で手ずから製本を行います。重建街は旧名を九崁街と言います。かつてはこの辺りに九軒の店があり、こここそが本物の淡水老街(旧市街)だったのです。今日の中正路商圈が発展する前、ここは淡水で最もにぎわった地区でした。家々は、斜面に沿って曲がりくねって軒を連ねており、今でも数棟の古民家が残っています。インターネットで簡単に情報が得られる現代、紙でできた原初の書に立ち返り、一針一針ていねいに、自分だけの書の世界を紡いでいきましょう。「入眼観音山色秀、朝暉相映画図開(観音山の景色が目に入り、朝日と照り映え、まるで一幅の絵のように美しい)」は淡水出身の女性詩人、汪李如月の詩です。重建街をMRT駅の方向へ向かうと、前方に観音山と淡水河が見え、時を超えて詩人と共感しているかのようです。女性の視点で淡水を見ると、淡水は台湾女子教育の原点であり、無数の優秀な女性を育てた養分だったことが心に沁みます。淡水から踏み出された第一歩は、台湾社会変革の大きな一歩となりました。