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九份老街日帰りの旅

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九份老街日帰りの旅
タイプ:
レトロな老街の旅
旅行日:
一日ツアー

推薦路線

Day

      紹介

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      九份がブレイクしたのは映画『悲情城市』のおかげだと言う人がいますが、それはおそらく九份の良さをじっくり体験していないからでしょう。九份には日本統治時代の昔ながらの建築が残されているだけでなく、何より大切なのはその山里の雰囲気です。今日でこそ九份老街は大勢の人で賑わっていますが、静寂な山奥へと通じる路地の風景が楽しめるのは九份しかありません。ところで、九份ではタロ芋団子を食べるのが定番になっているようですが、実は昔懐かしの庶民派グルメがほかにもたくさんあります。基山街、豎崎路、軽便路の3本の通りからなる本物のおはなしの家では、九份の素敵な物語を探しながら、散策ついでに様々な庶民派グルメを味わうことができます。時間に余裕がある時は、かつて金鉱採掘で賑わった様子をうかがい知ることのできる黄金博物館にも足を伸ばしてみてください。
      day01
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        雙渓の夏は蓮の花の季節 花見、水遊び、老街散策
        まだ日が照っていない夏の朝に雙渓荷花園を訪れると、濃い蓮の葉の間からピンクの花が顔を出しています。楽しそうに遊ぶ子供たちと池のあぜ道で肩を並べて、花を楽しむためのベストスポットを探したり、葉の端から滑り落ちる水滴に目を凝らし、ハスにかけるために手で水をすくったりして、夏の暑さを和らげましょう。ベストな角度でカメラに収めた後は、庭園の入り口でファーマーズ・マーケットも開催されています。蓮の季節のDIYがあり、大変な賑わいを見せています。その後は軟橋段親水公園で水遊びや散歩をして、お腹が空いたら近くの雙渓老街で腹ごしらえ。旧市街を散策して、歳月の静けさを感じ、満腹になった後は連舉人や莊貢生の旧宅の中国式建築を見学します。古風で魅力的な文字や彫刻の中で当時の文化と社会の希望を垣間見ることができます。▲ 6月の開花状況は約30%で、ハスの多くはまだつぼみです。花の季節は8月まで続きます。新北市最大規模のハス畑で夏限定の絶景を楽しむ雙柑道路を走ると両側に花畑が広がっています。新北市で最大規模のハス畑は雙渓に位置しています。雙渓の蓮花園では環境にやさしい耕作が十数年続いており、規模は7.5ヘクタールに達しています。ハス畑を代表するハスとスイレンのほかに、園内には大賀蓮、牡丹蓮、香水蓮、覇王蓮、百葉蓮など多様な品種が植えられています。季節限定の美しさは6月に始まり、8月まで咲き続けます。▲シルクスクリーンでコインケースDIYは、絹板の上に染料を塗り、ヘラを使って染料を上から下まで均一に塗り広げます。「雙渓ハスの花シーズン」は6月中旬に正式に始まり、ハスは池のあちこちに蕾をつけ、夏の満開が待ち遠しくなります。園内では、花の季節に合わせた手作りDIYイベントを用意しており、宮廷風小さな蓮のお菓子作りからシルクスクリーンでコインケースDIY体験、蓮の花の形をした盆栽の創作まで、保護者と子供が一緒に参加できます。手作り作品を持ってファーマーズ・マーケットを歩くと、豆花デザートや蜂蜜ドリンクが暑さを和らげてくれます。露店には地元農家が自家栽培した有機野菜や果物、卵、漬物が並んでいます。おしゃべりやにぎやかな喧騒のなかで、のんびりと暮らす雙渓の人々の優しさや親切さを感じることができます。▲ 軟橋段親水公園への入り口は道路脇に隠れているので、車を停めて歩いて行くのがおすすめ。暑気払いに最適 透き通った水遊びの穴場軟橋段親水公園は生態工法で建設されており、入口は基福道路の平林区間のわきにあります。石段を下りていくと、目の前が開け、新緑の芝生が目に入ります。芝生の端には水に入るための階段が設けられています。平林渓では禁漁が成功し、今では水質が良く川底が見え、魚の群れも泳いでいます。ここでは、セイタカクチマガリやタイワンハナマガリが広く生息し、家族での水遊びやピクニックに最適な場所です。水遊び時にはケミカル日焼け止めクリームが水域環境に影響を与え、生態蓄積を引き起こし、更には水中の生物内分泌システムに影響を与える可能性があることに注意する必要があります。日焼け止めクリームが欠かせない暑い夏に自然の水域に接触する際は、海に優しい日焼け止めクリームを選ぶ、または直接太陽の光を楽しみましょう!▲ 芝生の先には石段があり、渓流は浅く、多くの魚が泳いでいます。のどかな雙渓老街を散歩 旧跡を探索し、グルメを味わう水遊びをしてお腹が空いたら近くの雙渓老街で腹ごしらえ。にぎやかな深坑老街や平渓とは異なり、雙渓老街の雰囲気は旧市街区に静かな生活感をプラスしています。のんびり歩いていると、角のところに赤レンガで作られた100年の歴史ある鍛冶屋や「林益和藥房」の看板を掲げた2階建ての洋館造りの漢方薬店を発見するでしょう。建物の外観は時が止まっているように見えますが、中に入ってみると、すべてが今も着実に動いていることがわかります。▲100年の歴史ある鍛冶屋は台湾が農業社会から歩んできた歴史を目撃しました。雙渓公有市場はいたるところで隠れたグルメに出会える賑やかな場所です。モチモチとした草の香り豊かな皮に千切り大根の餡が入った草餅や、何十種類ものトッピングから選べる伝統的な雪花氷など、派手さはなくても地に足の着いた魅力が地元住民や観光客をひきつけます。一度ここを訪れると何度も足を運びたくなる場所です。▲ 長安老街の端には雙渓渡し船の船着場があり、ここは平林渓と牡丹渓の合流地点でもあります。長安老街の端には雙渓渡し船の旧跡があります。ここは、清の時代に淡蘭古道の交通の要所として雙渓の繁栄を築きました。 最盛期の長安街は商店が多く、米屋、布屋、旅館、漢方薬局などが軒を連ねていました。▲ 「連挙人古厝」の左右の扉には「出忠」と「入孝」の文字が刻まれています。古民家巡礼 100年の古民家から雙渓の過去を探索渡し船の乗り場付近には、100年前の古い邸宅「連挙人古厝」があり、正面玄関には大きな「文魁」の額が掲げられています。——昔、功名を挙げて先祖の功績に感謝しに行くと、その土地の役人から感謝の印として額が贈られました。ですから掲げられた額からその家の科挙での地位がわかりました。清同治5年(1866年)連元喬の子孫である連日春が福州で郷試を受け、雙渓区初の高級挙人となりました。そのため彼の邸宅は尊敬を込めて「挙人厝」と称されました。この「文魁」の額は、福建の巡撫(長官)であった丁日昌から1876年に贈られたものです。▲ 「莊貢生古厝」の壁面からは、先人たちの祝福と期待を反映した多くの象徴的な石彫を見ることができます。明治34年(1901年)、清朝科挙の貢生に合格し、福建漳州府に赴いた莊廷燦は、帰郷後、英才育成のため挙人の連日春と共に私塾「梅竹園」を創設しました。地元の人々は莊廷燦の生家を「莊貢生古厝」と称しました。莊貢生の旧宅は山を背にして水に面し、福建式建築の三合院形式で、左右に円形の石窓が設置されています。また、窓格子には竹の節が彫られ、コウモリに囲まれたデザインは幸福と高尚な人格を表しています。▲ 「莊貢生古厝」の石窓の窓格子には竹の節が彫られ、コウモリに囲まれたデザインは幸福と高尚な人格を表しています。これらの百年前の家屋は、元の石組みのまま保存されており、全体的に保存状態がよく、歳月が流れた後でもなお彫刻の繊細さを見ることができます。子孫の説明を通じて、人は過去の雙渓で繁栄した文化を垣間見ることができます。時代の流れのなかで残された老街や古い邸宅の物語は訪問者の探索を待っています。
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        台北MRTで新北トリップ-中和新蘆線(新荘支線)
        中和新蘆線新荘支線は2013年全線で開通しました。全線が地下化されており、新荘区と三重区にまたがっています。台北橋(O13)、菜寮(O14)、三重(O15)、先嗇宮(O16)、頭前庄(O17)、新荘(O18)、輔大(O19)、丹鳳(O20)、迴龍(O21)の9つの駅があります。新荘はかつて台湾で史上初めて鉄道が通った地区でした。劉銘伝が建造を主導した鉄道が通過したのです。1893年台北から新竹まで鉄道が開通した際、今日の新荘国小前に海山口駅が設けられました。日本統治時代に台鉄が改線。1901年以降、列車は板橋地区を通過するようになり、新荘の地位も徐々に板橋に取って代わられるようになりました。そして百年後の今、中和新蘆線の開通で、新荘は新鉄道輸送時代に突入したのです。新荘区は新北市内で板橋区に次ぐ規模を誇ります。人口は40万人を超え、大台北地区で最も早期に開発された地区です。たくさんの古廟と豊かな地元文化を有し、ローマ教皇庁立大学である輔仁大学もこの地にあります。さあMRTで新荘を探検しましょう!O13台北橋駅:空軍三重一村まずは台北橋付近からスタートです。河沿いに続く背の低い質素なレンガ造りの民家、「青天白日満地紅(中華民国旗)」がいっぱいにはためき、懐かしい雰囲気が漂う「空軍三重一村」はドラマや映画のロケ地として重宝されており、多くの台湾人にとって幼い頃の思い出につながる地でもあります。ここでは眷村(軍属村)関連の展示の他、軍事に関連する展示やイベントも行われ、軍事ファンも見学に訪れます。「空軍三重一村」は第二次世界大戦時、日本の高射砲部隊の陣地が置かれ、淡水河上空の防衛を担っていました。今でも当時の砲陣地間をつなぐ地下連絡道が残っています。ヘルメットをかぶり、解説員のアテンドで、地面の下の「三重一村」を探検しましょう!O14菜寮駅:阮的肉干産業概念館「阮的肉干産業概念館」は環南市場で三十数年続く老舗の味を伝える、台湾で初めての肉干(ジャーキー)をテーマとした産業文化館です。台湾伝統の食と食文化を融合したユニークな肉干体験を提供。製造工程も透明化し公開しています。解説員のアテンドを通して、新時代の肉干と食品衛生重視の新しい考え方を楽しみながら学べるようになっています。天気に関係なく、屋内で親子で楽しめる施設です。O15三重駅:新北大都会公園O15三重駅とMRT桃園空港線A2三重駅はつながっており、駅構内で乗り換えできるようになっています。そのため外国人観光客にとって、林口台地を越えて最初に目にする台北地区でもあるのです。三重駅を出ると、そこは「二重疏洪道(遊水路)」内にある新北大都会公園です。敷地面積は424ヘクタール。台北大安森林公園の16倍にも達します。新北大都会公園は広大な緑地に自転車道、遊具やアスレチック、子ども達に大人気の「熊猴森楽園」があります。「熊猴森楽園」と「海世界水楽園」は斜面を利用した世界最大のインクルーシブ滑り台楽園です。タイワンツキノワグマ、タイワンマス、タイワンキジ、アオウミガメ、トビハゼなど台湾特有の生き物たちが公園の全体設計に取り込まれており、大人も子どもいっしょに楽しめます!O18新荘駅:新荘廟街商圈、新荘広福宮、新月橋「一府、二鹿、三新荘」この言葉は新荘の繁栄を物語っています。新荘は台北で最も早くに開発された地区。大漢渓の水運により発展を始め、18世紀には大台北地区で最も栄えた商業の中心地だったのです。廟街を散策すれば、米市巷、鹹菜街、挑水巷などの路地に200年あまり前に敷かれた街道の名残が感じられます。廟街商圈は新旧が融合し、廟に混じって商店が立ち並びます。新荘に暮らす人にとっては会食や買い物に欠かせない地区です。新荘唯一の国定史跡-潮州客家人建立の広福宮(1780年建立)、新荘慈祐宮(1729年建立)、新荘地蔵庵(1757年建立)、新荘武聖廟(1760年建立)、新荘文昌祠(1813年建立)など、廟街には古い廟がたくさんあります。こうして「官将首文化」と「廟会(縁日)」でおなじみの中華菓子「鹹光餅」が生まれました。「鹹光餅」はベーグルそっくりの見た目で、しょっぱさの中にほのかな甘さがあります。廟街の中華菓子店ならではの商品で、食べれば加護が得られると言われています。川に土砂が堆積したことで、新荘の港は百年前から存在しなくなっています。新月橋から滔々と流れる大漢渓を眺めれば、当時「千帆林立新荘港、市肆聚千家灯火(千隻の船が新荘港に並び、千の家に灯りがともる)」と讃えられた光景が目に浮かぶようです。優雅な姿で大漢渓にかかる新月橋は台湾で最長の二連鋼アーチ橋。歩行者/自転車専用なので、心地よい川風に吹かれながら、一段高い視線で大漢渓両岸の景色をのんびり眺めることができます。O19輔大駅:カトリック輔仁大学大学のキャンパスは敷地面積が広大で、周辺にたくさんのお手頃グルメが集まり、休日のレジャーに持ってこい。輔仁大学は1925年北京で創立され、かつては「北平四大名門校」の一つに数えられました。1961年輔仁大学は台湾で復校。台湾唯一のローマ教皇庁直属の大学です。キャンパスはドイツ人エンジニアが設計を企画。構内は植栽に覆われ、建物は赤、青、グレーを基調としています。建物銘板の多くが書家、政治家(蒋介石、台静農、王静芝、賈景徳など)の落款です。キャンパスを散策する際に、ぜひ鑑賞してみてください。 輔大の超人気グルメと言えば「輔大食科ソフトクリーム」です!卒業生が食べにわざわざ母校を訪れるほどのおいしさで、チョコ、バニラ、ミックスの三つの味があります。毎年学園祭に発売される期間限定のフレバーは行列必至の人気です。大学周辺にもコストパフォーマンス最高のグルメが目白押し。鉄板焼、麻辣燙(マーラースープ)、焼臘(広東風ロースト)など、種類も多くお手頃です!O21迴龍駅:新北市軍人忠霊祠(武器公園)MRT新荘線最後の一駅は迴龍駅。この駅は台北盆地の最西端に位置しています。「新北市軍人忠霊祠」は大同山の麓にあり、国防部は近年、退役軍備を忠霊祠の広場に展示しています。空軍は1970-90年代の主力戦闘機「F-104星式戦闘機」、「F-5老虎戦闘機」を、海軍は五インチ艦砲、軍艦の錨を、陸軍は「M41軽戦車」、高射砲を展示しており、軍事愛好家垂涎の地となっています!将来、迴龍駅は桃園MRT棕線、台北MRT運万大樹林線と接続される予定で、新荘最大のターミナル駅として、新北市の旅にさらなる利便をもたらしてくれるでしょう。
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