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祈堂老街の旅

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3463
祈堂老街の旅
タイプ:
登山 ハイキング、レトロな老街の旅、秘境コース
旅行日:
一日ツアー
適合對象:
公衆、バックパッカーズ

推薦路線

Day

      紹介

      アンカーポイント
      1889年、台湾で初めての鉄道建設が基隆と台北との間で急ピッチで進められていた頃、工事に従事していた労働者が、今日の基隆七堵一帯の川の中でキラキラ光る砂金を見つけました。人々は金を求めて川を遡り、小金瓜と大金瓜で地表に露出した金脈をついに発見。こうして北台湾のゴールドラッシュが始まり、静かだった金瓜石と九份は黄金の歲月へと突入しました。けれども1987年、台金公司は採掘業務を終了。金瓜石の百年近くにわたる金鉱山の歷史に終止符が打たれたのです。

      隣りにあって、商業が活発な九份とは異なり、鉱山が閉鎖されたのちの金瓜石は世間から隔絶され、静かな山間の町に戻っています。山中に埋もれた建物、辺りを見守る巨大な関公聖像、路地を行き来する登山客の姿もちらほら。これが金瓜石の今の姿、そしてその麗しさです。
      金瓜石

      「永遠に忘れない」第二次世界大戦時、金瓜石には日本軍の捕虜収容所がおかれていました。現地では「督鼻仔寮(鼻の高い外国人が住むところ)」と呼ばれ、外国人捕虜が収容されていたのです。東南アジアの戦場から連行されたこれら捕虜は英国、米国、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカ、オランダなどの出身者で、収容中は銅の採掘を担わされました。生活条件はひどく劣悪で、多くの捕虜が大戦の終了を待たず、金瓜石でこの世を去りました。1997年「国際和平終戦記念園区」が開園。過去の戦争を伝えています。「Freedom is not free」は平和が簡単に得られるものではないことを世界中の人々に訴えかけています。
      國際終戰和平紀念園區

      祈堂老街(旧市街)は金瓜石のメインストリートです。山並みに沿って作られた旧市街は鉱山労働者の主な生活圈でした。最盛期には八万人もの金採掘者でにぎわい、通りには食事処、雑貨店を始め、銀楼(宝石店)、ビリヤード、酒家(飲み屋/クラブ)などの娯楽施設まで、何でも揃っていたのです!日本統治時代には「金瓜石銀座」とまで呼ばれにぎわいましたが、ゴールドラッシュの終結とともに、金瓜石の人口は2000人を下回るまでに急速に減少しました。にぎわいが去った後の祈堂老街は当時の面影を残しており、レトロな雰囲気が漂っています。改修された「彩虹階段」はSNSで話題をさらい、この鉱山都市に再び注目が集まることになりました。
      祈堂老街
      祈堂老街

      「彩虹階段」を上れば「金瓜石勧済堂」に到着です。「祈堂」とも呼ばれ、創建120年を優に超える金瓜石の信仰の中心地です。主神は盛名轟く関聖帝君(関羽)で、「勧済堂」で最も有名なのは堂の至宝とされる関公聖像です。純銅製で、台湾最大の高さ、35台尺(約10.5メートル)を誇ります。『春秋』を開いた関羽は、山を背に海に臨み、金瓜石の高台にそびえ立っています。金瓜石で最も目をひくランドマークであり、この地の守り神として、金瓜石に暮らす人々を代々見守ってきたのです。
      勸濟堂
      勸濟堂

      標高260メートルの報時山は、日本統治時代にここに設置され、定時に音を発していた警報器にちなんで名付けられました。勧済堂駐車場から登山歩道を登って行くと、わずか10分で展望デッキに到着です。海の方を向くと、陰陽海と北海岸が一望のもと。振り返り山の方を見れば、無耳茶壷山、「六坑斜坡索道」が目の前です。緑の山々と青い大海原に包まれる心地よさは格別です。
      報時山

      茶壷山は金瓜石地区を後ろから支えているかのような山です。標高は602メートル。金瓜石側から山頂の岩石を見ると、取っ手のない急須のよう。そのため「無耳茶壷(急須)」というかわいくて覚えやすい名がついたのです。「無耳茶壷山歩道」は金瓜石地区でいちばん人気の登山歩道。勧済堂駐車場から上って行くと、30〜50分で山頂に到着です。ここは瑞芳地区で最も美しい展望スポット。眼前には基隆山、足元には金瓜石の街並みと曲がりくねった道路が広がり、無限の青空と大海に包まれながら、心と身体のパーフェクトな癒しを感じることができます。
      無耳茶壺山

      「アジア第一の貴金属鉱山」はかつて金瓜石に冠せられた威名でした。当時は金、銅の採掘が盛んで集落が形成され、一攫千金を狙う採掘者の夢が詰まった街でした。鉱脈が枯渇した今、街は廃れましたが、山と海が織りなす絶景は変わっていません。登山客と、金瓜石に今も暮らす人々にとって永遠の心の故鄉です。
      無耳茶壺山

       
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      「板橋」の七色の傘 + 星の王子さまの壁画でSNS投稿 新月橋の美しい瞬間をカメラに
      板橋は本当にインスタ映えスポットが至る所にあります!板橋駅の近くの光正街は「ブランチ通り」と呼ばれており、数多くの人気ブランチ店が軒を連ねています。それぞれに特色があり、美味しいだけでなく、フォトジェニックなメニューも満載なので、週末になるとなかなか予約が取れないほど大人気です。ブランチ店で美味しいアフタヌーンティーを堪能したら、続いては板橋435芸文特区へ。ここにある七色の傘のアートオブジェは、ネット美女の誰もが知る人気のSNS投稿スポットで、このほか近くには新しく発掘された穴場インスタ映えスポットもあります!また、環河西路沿いにある湳仔溝抽水所は、一部がサイクルステーションに改築され、その壁にはかわいい星の王子さまとキツネが描かれています。あの世界でたった1本しかないバラを、手で持つようにして写真を撮れば、まるで小惑星B612に上陸したかのようなファンタジックな雰囲気に包まれます!続いては、幻想的な美しい写真が撮れる「新月橋」へ。写真撮影に自信がおありでしたら、ぜひご一緒にその美しい倒影を撮影してみましょう!そして最後は、お腹いっぱいになれる場所で旅を締めくくります。新月橋から5分の距離にある新荘廟街夜市は、まさに老舗夜市!かつては商人が集結した賑やかな地区であったため、近くには史跡や廟、老舗グルメなどが数多くあります。潤餅(台湾風クレープ)、肉羹(豚肉のとろみスープ)、豬血湯(豚の血豆腐スープ)など、どれも安くてボリュームがあるので、間違いなくお腹いっぱいになれますよ!
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      淡水親子知性の旅:文化資産と女子教育
      風光明媚な淡水は、19世紀後半に北台湾と世界を結ぶ窓口でした。 国際貿易の発展は淡水の黄金時代を築き、貿易商や宣教師を通じて、西洋の商品や思想が淡水にもたらされ、台湾へ浸透しました。 台湾初の女学校、初の西洋式病院、初のゴルフ場はいずれも淡水で誕生し、台湾社会の容貌を一変させました。休日には家族一緒に淡水を訪れ、得忌利士洋行(Douglas Lapraik & Co.)の淡水古蹟微型博物館でゲームを通して淡水の文化財について学んでみてはいかがでしょうか。淡水港の開港が台湾に与えた影響を子どもたちと探るために、姑娘楼、牧師楼、馬偕記念館を訪れました。滬尾(フーウェイ)芸文レジャー公園や淡水ライトレールの童心に帰ることができるパブリックアートをのんびりと散策し、新時代の淡水の芸術文化に浸ってみましょう。1860年の台湾開港後、淡水は台湾北部で最も国際的な商業港となり、多くの海外業者が淡水に拠点を構えました。 淡水の老街の端に位置する得忌利士洋行、徳記、和記、怡記、寶順は淡水の五大海外事業者と呼ばれています。得忌利士洋行は国際貿易だけでなく、19世紀末の台湾海運業界の巨人であり、台湾の国外海運事業を掌握し、それが開港後の淡水の発展につながりました。この歴史的に重要な海外企業の建物は、淡水の過去の繁栄を紹介するのに最適なスポットです。 1年の準備期間を経て、常設展「淡水古跡ミニチュア博物館」が得忌力士洋行に登場し、淡水紅毛城、旧清淡水関税務司官邸、淡水税関埠頭、淡水街長多田栄吉の旧邸宅、滬尾炮台、淡水日本人警察官宿舎、デ得忌利士洋行、淡水崎仔頂施家古跡、公司田渓程氏古跡、淡水日本人人実業家中野宅、淡水木下静涯旧邸、滬尾小学校講堂など、淡水の12の文化財を紹介しています。このミニチュア博物館では展示品を政治、軍事、商業、学術の4つのカテゴリーに分け、それぞれの歴史物語と組み合わせてインタラクティブなゲームに変身させています。 楽しく好奇心をくすぐる方法で、子供たちはイースターエッグのゲームで淡水の古跡について簡単に学ぶことができ、昔の淡水の様子を想像するきっかけとなります。真理街の坂道を上って真理大学のキャンパスに入り、財経大楼を抜けると、100年以上の歴史を持つ2棟の赤レンガの建物が並び、緑の木々を背景にさらに優雅に見えます。建物の前の庭には緑の芝生が広がり、森のすぐ後ろには淡水河と観音山が見えます。この同じようなスタイルの2つの回廊式の洋風建物は、1906年建設の姑娘楼と1909年建設の牧師楼に分かれています。どちらの建物も吳威廉牧師が自ら設計・監督し、建築材料にはアモイのレンガと福杉を使用しています。姑娘楼は元々、台湾初の女子学校である淡水女学校の校長・金仁里先生と婦女学堂の高哈拿校長の居室として提供されたもので、台湾の近代女子教育を見ることができる重要な史跡です。現在は真理大学の学長室として使用されています。牧師楼は呉威廉牧師の居所で、ピアノが置かれたフロアはかつて映画『言えない秘密』の舞台として有名になりました。姑娘楼と牧師楼の隣にある白い建物はかつて馬偕博士ことジョージ・L・マッケイ博士の住居であった馬偕記念館です。1875年に馬偕先生自身が設計したスペイン風の白い壁が特徴的なコロニアル建築は、湿度が高く雨の多い北台湾の気候にとても適していました。馬偕博士はここで結婚して子供をもうけ、1901年に亡くなるまで台湾人の妻の張聡明と一緒に暮らしました。馬偕は1872年、得忌利士洋行の船「海龍号」で高雄から淡水へ渡り、その後数十年間、台湾北部で伝道師、教師、医者としての道を歩むようになりました。宗教、教育、医療の各分野で多くの人材を育てた馬偕は、台湾の女性が男尊女卑に起因する社会的な制約を受けているという問題意識から、台湾における女子教育の先駆けである淡水女学堂を開校しました。 馬偕の妻の張宗明も女学校の英語教師であり、二人とも台湾の女性教育史における重要人物です。👉馬偕記念館内部は事前予約が必要です。真理大学校史館(02-2621-2121)までご連絡ください。1879年末、馬偕と共に母国カナダに帰国した張聡明は、アモイ、香港、シンガポール、インド、中東、エジプトのピラミッドを経て、エルサレムの嘆きの壁に訪れた後、アレキサンドリアを経由してイタリアのポンペイ遺跡、ローマ、バチカンを訪れ、フランス、イギリスを経てカナダに到着、馬偕とともにカナダでの任務と募金活動の報告を終えた後、アメリカ、日本を経由して台湾に帰国、張聡明は台湾人女性として初めて世界一周の偉業を成し遂げたのです。淡水河沿いの木の桟道を散歩中、紅毛城を過ぎるとすぐに、真っ白な滬尾芸文レジャー公園が右手に見えてきます。幾何学的で左右対称に近い建物は、淡水のアーチ型西洋建築のデザインを反映しており、数え切れないほどの観光客が写真を撮りに訪れています。滬尾芸文レジャー公園は、ヨーロッパの有名ホテル、ショッピングモール、映画館、スカイガーデンを併設しています。ショッピングモールで腹ごしらえをした後は、3階のスカイガーデンに来て、1,000坪の芝生に家族で腰を下ろし、八里左岸と観音山を眺めながら淡水に沈む美しい夕日を鑑賞することができます。バスで淡海ライトレール「漁人碼頭駅」まで行き、絵本作家ジミーの絵本の要素を取り入れた淡海ライトレールに足を踏み入れ、 癒しの絵本のキャラクターたちが一緒にライトレールに乗って、『ほんの少し目を閉じて』みたら、アクアマリン色のライトレール車両があなたの夢の国、そして暖かい家へいざなう旅が始まります。
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